2009-09-30 22:42 | カテゴリ:未分類
昨日9月29日、滞りなく義父の葬儀を終えることができました。

生前お世話になっていた皆々様に、この場を借りてのご報告と、これまでの礼をのべさせていだだきたく思います。
9月25日、容態急変。
翌々日27日、夜8時50分永眠。
故人の意思により、家族葬とし、静かに送らせていただきました。
生前の皆々様からの御厚情、心より感謝致しております。



それでも笑顔を見せてくれた・・・。



彼の父に癌が見つかり、即入院となったのは、まだ寒さ厳しい2月末。

義父は告知を受けてはいたけれど、頑に信じようとせず、「ただの炎症だ」と気持ちを奮い立たせていた4、5、6月。

放射線治療が芳しくなく、抗がん剤の点滴治療にかわり、辛い副作用でだんだんと体力・気力を奪われていった7月。


ついに歩けなくなり、オムツ生活となり、プライドまで砕かれた8月。この頃から死を意識し始め、彼に身辺整理を相談し始めました。

先週金曜日、容態急変。
土曜日、意識も呼吸も回復し、ひと安心しました。
日曜日午後1時、私と子供2人、お義母さんとお見舞いに行ってきました。自分の葬儀の話と、今までのねぎらいの言葉をかけてきました・・・嫌な話をしはるなぁ、と不安に思いました。
30分ほど話をしたあと、帰り際に子供らが書いた手紙を渡し、子供らと握手をし、病室を失礼しました。
・・・これが最後のお見舞いとなってしまいました。

夜、再び急変の連絡。
家族に見守られながら、永眠・・・?







病院から自宅へ一緒に戻ったその後からは、長男家族ですから、葬儀屋さんとの打ち合わせ、枕経、通夜、告別式、骨あげ、初七日・・・と慌しく仕事のようにこなしていくのが精一杯で、涙ぐむ暇も無いほどに神経を張り詰めてきましたが、
ひと段落した昨晩、家でみんなと思い出話をしていた時、どっと涙が溢れ出してしまいました。






今日は病室に置いてあった荷物の整理をしました。
毎日欠かさずつけていた義父の日記・・・自分の体調の事だけではなく、彼や私の仕事の予定、子供達の行事まで書いてあり、ものすごく気遣ってくださってたことがわかりました。
日記の一番後ろのページには、落ちないようにきちんとクリップで留められた、子供らからの今まで全部の手紙がはさんでありました。
「読んでくれてたんだ・・・」

以前に義父が、「こんな姿になって悔しいし、情けない。孫たちよ、勉強だけじゃないで、健康が一番大事なんやで。」と語っていたこと、
孫の頭をなでてくれたシワシワになった手、
いつまでもいつまでも病院出口で私たちを見送ってくれていた姿、
「さびしいのかもしれない。不安なのかもしれない。
もっと今のうちに、孫をみておいてもらおう。」と、夏休みの間は3日おきに見舞いに行かせた事、
日記を読みながら、いろいろたくさんのことが思い出されてしまい、たまらない気持ちで胸が一杯になってしまい、また涙を流しました・・・。





葬儀の間もタイクツと連呼し、火葬場でもわかっているのかいないのか・・・何かのイベントに参加してるかのように見えた子供達。
不安に思ったので今朝、あらためて、ジィジはどうなったのか?と聞いてみたら、
「千羽鶴(子供らが自分で折って、棺に入れたもの)と一緒にケムリになって、お空の天国に行ったんやで。」と。
子供なりに理解してくれていることを、よかったような、かわいそうなような・・・。





本当はかなりの痛みで苦しかったはず。
押しつぶされそうなほどの不安で涙も流してたはず。
それでも義父は見舞いに行くたび、笑顔を絶やしませんでした。

いつも私たちへの感謝の言葉でいっぱいでした。
教えて欲しいこともまだまだたくさんありました。

そんな義父を尊敬しています。

誇りに思っています。

もっとお話がしたかったです。






お願いです。
夢に出てきてください。
いっぱいおしゃべりをしましょう。
子供らと約束した、いつものコーヒー屋で、子供達も一緒にパフェを食べながら・・・・・・・。

さようなら。